声の大きいひとりごと

全ては私の愛ゆえの独断と偏見。

三次元を推すということ

光一さんの後輩の岸くんが帝劇に立つっていうニュースを見て。


私はずっと二次元を推してたから、そのキャラが死んだらその物語は終わってしまうし、そのキャラの言葉は作者が忘れてしまえば宙に浮いたままになる。家族構成は明かされないことが多いし、日常も作者が書かないことには知るすべがない。キャラを取り巻く環境も、キャラの視点で見ることしか出来ない。


でも三次元を推すと色んな角度から、色んなことを見せてくれる。


光一さんの発した「無理して頑張れ」という言葉を覚えていた岸くん。でもその言葉は岸くんに覚えていてほしいと思って発した言葉ではないだろうし、その時々の場合、状況、雰囲気が合致しなければ印象に残ってなかっただろうし。それは間違いなく偶然だし。


岸くんは光一さんを目標としてますって各所で言ってて、それはきっと光一さんの知らない場所でも言ってて、その思いがどれだけ光一さんに伝わってるかはわからない。


帝劇を代表する舞台に立ち続ける光一さんに憧れて、目標にして、夢を叶える岸くん。


三次元を推すということは、その人の言葉とか行動が、知らないところで繋がっていて、また別の人の人生に繋がっていて、極端な話死んでもなにも終わりじゃないんだなって思った。生きてるんだって思う。どれだけフィクションみたいだって思ってもこれはノンフィクションで、尊いって言葉は陳腐だけれどそうとしか言えない。




光一さんは365日24時間360度全てが美しいのにそれを推す自分があまりにも美しくなくて悲しくなった。

外見の美しさはもちろんだけど、色んな人に尊敬される人柄とか可愛い!って愛されるキャラとか年齢や状況に甘えないストイックな姿勢とか自分の考えを押し付けない大人らしさとか知らないことに遭遇した時の無邪気な子供っぽさとかそういう内面の美しさが眩しい。

光一さんが好きだって言うたびに、こんな自分が好きだって言っていいのかなって思う。私が好きだって言うことで光一さんの価値が下がるとは思わないけど、光一さんはみんなの思ってる5倍は素敵でかっこよくて美しいんだよって事が伝わらなかったらどうしようって思う。

美しくない私が美しい光一さんのことを伝えても説得力がないんじゃないかと思って悲しい。

もどかしくてもどかしくて涙が出る。

ファンを名乗るのに恥ずかしくない人間になりたい。外見も、内面も、素敵になってそのモチベーションは光一さんなんですって言いたい。岸くんはすごい。




情緒が不安定ですねぇ〜〜〜〜