声の大きいひとりごと

全ては私の愛ゆえの独断と偏見。

フォードvsフェラーリ 感想

光一さんがアンバサダーだから見てきたけどもう一回見たいくらい好きだった…。感想覚えてるうちに書き殴る。
F1の知識とか皆無だけど。


これは不可能を可能にする話でもなければ2人の友情がエモい話でもなかった。

人生の話だったし愛の話だった。

キャロルはスピーチの中で「自分のすべきことをわかっている人間は仕事ができる」的なことを言って、そのあと「幸せかどうかはわからない」って続けたけど、本当にそうじゃん。

結局フェラーリと本当に並走して“競った“のはケンだけの話だし、レース的な面で見ればフェラーリは棄権してるし。フォードvsフェラーリとはなんぞ、というお気持ちだった。

ケンは記録を残したけど、結局優勝は横取りされてるのこんなのもう本当に人生じゃん…。
努力は決して自分の望んだ形では報われないし、これはフィクションではないから、みんな幸せ、みんな味方、お手手繋いでハッピーエンドではない。

結局最後まで上司は利己的だったし、会社のメリットしか無かったし、結局お金だっていくら支払われたのかわからない。

当たり前に語った『次』はもう2度とない。

一回目の事故の時ピーターが話したことの伏線がきっちり最後に回収されててしんどい。

二回目の事故の時、キャロルが立ち止まってピーターを見たのは何故なのか私にはわからなかったです。悔しい。

殴り合いの喧嘩するシーンを光一さんは「愛がある」って言ったけど、あれは殴り合いをしても愛があるんじゃなくて愛があるから殴り合ったんだなあと思った。

ぶつけたい怒りも、言い訳にしかならない誤魔化しも、したくもない聞きたくもない謝罪も、全部全部飲み込んで(一部飲み込めてないけど)殴り合ってチャラにしたんだよ。
お互いを責めなくていいように、後ろめたいことをなくすように。
終わりにするためじゃなくて、また2人で始めるために。

レースが終わってそこで終わりかと思ったから続きがあって私の心は終わりになりました。

「もう半年だぞ」って周りに言われるキャロルしんどくない?半年で心の整理がつくわけない。

ピーターに「お母さんに話?」って聞かれて言葉を濁すキャロルを見たら何も整理がついてないし受け入れられてないことがわかる。
ケンが生きてた頃と同じように、同じ場所で、待っているように見えたよ。

「言葉は何の役にも立たない」

って言った後にピーターの「おじさんの友達だった」って言葉に泣いてるの言葉にできない感情だった。多分「君の父親は凄い人だった」とかなんとか続けるつもりだったのかもしれないけど、そんなの、そんなのピーターはわかってるんだよね。

その後の「君は自慢の子供だった」もしんどいけど。




最初と最後に『その速さの中で耳元で問いかける、お前は誰だ』ってセリフがあるけど、その答えは、『フェラーリを倒したフォードの技術者』でもなければ、『 走者』でもなくて、勿論『偉大な記録の保持者』でもない。


彼はただの父親で友達だったんだよ。