声の大きいひとりごと

全ては私の愛ゆえの独断と偏見。

置いていかれた話

私はオーラルことtheoralcigarettesのファンです。ファンでした。


幕開けで感じた唯一無二の存在感、世紀末少年を聴いた時のあの心臓が震える感じを忘れないし、嫌いを聴いた時の興奮も忘れない。エイミーを聴いた時のあのむず痒い感じも覚えている。


でも私はもうワガママで誤魔化せないし、容姿端麗な嘘を吐けない。


手を伸ばせば届く距離で、舞台の向こうの汗を浴びたのは遠い記憶の彼方。


もう肉眼で見ることさえ困難な距離に行ってしまった。



FCが出来た時、嬉しさなんか一ミリもなかった。つまんないバンドになりやがってって思った。

それでも好きだからFCに入って武道館のチケットを取った。


武道館は、もう、広い箱とは呼ばない。そこは手の届かない場所だ。

その場に相応しいのは映画のタイアップの曲だ。もう妄想SEX劇場も、エイミーでさえ歌わない。聴けない。


私の聴きたい曲が聴けないと直感した時、私は武道館のチケットの支払いを辞退した。



昔が良かったなんて言わない。


オーラルは常々「ついてこれない奴は置いていく」と叫んでいた。


その叫びに耐えきれず、逃げ出したのは間違いなく私だ。過去の記憶に縋って、進んでいく彼等の背中を見ていた。


もうどうにもならない愛もあるのだ。


変わることが当たり前のインディーズバンドを愛しながら、変わらないことを願った私が間違っていたのだ。


1ヶ月遅れることが当たり前になったオーラルナイトニッポンの通知が届く。

短い短いトークの中に私の知ってるオーラルと私の知らないオーラルがいる。


毎年きっちり夏フェスに参加する彼等がいる。「よく出来ました」を言ってくれるやまたくがいる。見たかった景色はそこにありますか。あの頃のオーラルが見たかった景色は広がっていますか。


それを同じ目線で喜べないことが悔しい。

古参になることも、老害になることも出来ず、ただただ私は置いていかれた。置いていかれることを望んだ。


だって私の好きな曲は、瓢箪山の駅員さんとか大魔王参上とかなんだもの。

歌詞に意味なんかないのに、メロディがキャッチーでどこか妖艶でブラックバンドという名に相応しいそれらなんだもの。




どうか昔が良かったと嘆く人たちに聞いてほしい。変わることが当たり前の世界で生きている彼等を応援しているにも関わらず、変化に耐えられない私たちは、ファンを辞めるしかないのです。

新規をバカにすることも、況してや変わった彼等を嘆くことも、なんの意味もないのです。

進み続ける彼等はそんな置いていかれた者の言葉には耳を貸さず進み続けていくので。 





だけど、もしかしたら、またあの頃の曲が聴けるかもしれないと思って、通り過ぎた季節の中で、私は待ちたい。


待つことは自由なので。